研究テーマ4:動物の微細行動パターンの計測・解析


 

 我々の研究室では、特に記憶学習課題に着目して、動物の微細行動パターンの特徴抽出と数理統計解析を可能にするような新規手法の開発に取り組んでいます。様々な技術改革により、神経発生・発達への人工的介入が可能になってきています。また、完成した神経回路の、特定のニューロン集団だけを操作する手法も開発が進んでいます。そのような状況において、動物の微細行動パターンの変化を客観的に捉え、統計的に解析していくことが求められております。また、実験動物の個性や個体差、そして、それらを生み出す脳内基盤についても研究が始まっています。

 

作画:大木圭佑

 

 当研究室では、新学術領域 個性創発脳 (代表:大隅 典子先生、東北大学)に参加させていただき、マウス・ラットを実験モデル動物に使用し、げっ歯類モデルで個性を研究するための方法論の開発を行っています。認知・行動的表出としての個性の表現型に加えて、背景にある神経生物学的基盤を測定・評価する方法論を開発し、それらの多変量解析、ネットワーク解析等を通じて、個性創発のメカニズムを検証できるような研究手法の確立を目指しています。また、ヒトを対象とした実験心理学や精神病理学研究で用いられている行動課題や、神経活動測定法の中で、マウス・ラットにも適応可能なものを選定・改良し、げっ歯類モデルで得られた実験結果や作業仮説が、ヒトを含めた他の動物の個性創発にも一般性を持って当てはまるのかについて検証できるように発展させていきたいと考えています。また、生後発達期における脳の発達・成熟に寄与し、個性創発のメカニズムとして関与し得る脳の性質として、ニューロン新生という現象に着目しています。

 

以下は、実験動物を用いて、個性を研究するというチャレンジングな研究課題について、背景にある考えです。

 

動物実験モデルとして使用されている近交系のマウスやラットにおいても、個体ごとに個性があるという事実に、実験者は日々の実験、研究活動の中で直面しています。近交系の実験マウス・ラットは、遺伝的に均一であり、ほぼすべての遺伝子は同一であると考えられます。そのような近交系の実験マウスを、しかも、同じ父親・母親に由来する同腹子マウスを用いた場合でも、それぞれのマウスは代表値(平均値や中間値)からのズレを示します。従来、動物行動学や行動薬理学の研究分野では、ズレをノイズと見なし、実験マウス群の代表値と、それらの統計的有為差に意味を見出して来ました。そのため、『代表値からのズレに、それぞれのマウスの個体差を生み出すメカニズムが内包されている』、という観点で研究が行われてきた事例は非常に少ないです。さらには、行動実験のスコアとして、古典的に使用されている行動指標の数値は同じであっても、それぞれのマウスのより微細な行動パターンに着目すると、質的に異なる行動要素が内在している、という状況を多くの実験者は経験しています。具体的な例では、記憶•学習課題において、学習の習熟度や記憶の固定化度合いを示す指標はほぼ同じであっても、その課題を学習するためにマウスがとるストラテジーは複数パターンあり、また、記憶の想起に使用していると考えられる手がかりは個々のマウスによって大きく異なっています。すなわち、古典的な評価指標では、一見同じような能力や特性を持つと評価されたマウス個体間でも、実は要素レベルの行動・振る舞いでは、個々のマウスによって多種多様な個性が内包されており、その個性を創発する脳神経回路基盤にも揺らぎが存在していると考えられます。

  近年の分子遺伝学、発生工学技術の急速な発展により、脳神経系の発生・発達メカニズムについて多くの知見が得られて来ました。特に、遺伝情報により先天的に規定された脳の設計図については、様々な重要遺伝子の同定や機能解析を通じて、その大枠は理解されつつあると言っても過言ではありません。また、環境からの感覚刺激入力を中心に、どのような外部入力が脳神経回路の成熟に寄与するのか、という研究も精力的に進められています。そのような状況で、脳の設計図や外部入力の揺らぎが、どのように動物の個性を生み出し得るのか?という問題は、脳の発生・発達・可塑性の研究分野における次なる主要な研究テーマであると考えられます。

 しかしながら、実験データの平均値の統計的有為差に重きを置き、個々のデータの平均値からのズレが持つ潜在的意味には目をつぶって来たという歴史的背景を鑑みますと、動物の個性をどうように科学的に評価・検証していくのか?という問題は容易では無く、新たな評価手法・方法論が必要であることは明白であります。近年、計測機器の高精度化、小型化や低侵襲化の著しい進歩に伴い、動物の行動実験や脳活動の計測実験から得られるデータ量は飛躍的に増加しています。また、ビッグデータを扱うデータマイニングの重要性の理解が進み、情報科学者・技術者が脳科学研究のデータを扱う下地は整いつつあります。研究対象としては先延ばしにされてきた「個性」という動物の性質を、発生生物学者・神経科学者・心理学者や情報科学者が共同し、科学的に検証できる状況が整いつつあると考えられます。

 

 

代表的な論文:

 

*Suzuki, Y. and *Imayoshi, I. (2017) Network analysis of exploratory behaviors of mice in a spatial learning and memory task. PLoS One, 12, e0180789.